愛を見極める
⚪️愛を見極める
愛情不足の無意識は支配する感情と、服従する感情に分かれます。
愛に満たされた無意識は昇華し、人に安らぎと自由を与えます。
それは家族関係から学び痛みと苦しみ、そして許しを伴います。
⚪️努力と結果だけでなく、希望と祝福を
家族をゆるし、家族の愛情を信じてもらうこと
家族の生きる力を信じること
貴方はひとりではないよと、ひとりには決してしないよ、家族なんだよ、と安心してもらうことです。
そして、家族の憂いは昇華されて、その安心は自分の安心に還元されてゆくのです。
⚪️家族からすべてがはじまる
すべての問題は家庭から、家族からはじまると言っても過言ではありません。
今の問題を自分だけの問題としてとらえるのではなく、自分の家族がどこかで問題や悩みを抱えているではないか?と考えてみましょう。
家族はもう一人の貴方です。
◉我を捨てる作業(内観)
人はわたしという存在を確立するために、わたしという存在を認めてくれるあなたの存在を必要とします。
例え、優秀な頭脳、美しい容姿、健康的な身体に恵まれていたとしても、その人を認めるあなたという存在がなければ人は生きていけないでしょう。
この世に”個”という概念は存在せず、相互関係の中で存在する証です。
個=我はこの社会だけでなく、自然界すべてに存在していません。
植物も、動物も、自然もすべて相互依存、相互関係の中で存在しています。
すべての生き物、自然は見えない糸で結ばれているようなものです。
◉サナギからチョウへ
人は少年期から青年期にかけて、自分という存在を確立するために、両親との精神的なヘソの緒(親との精神的な子供としてのつながり)を断ち切るために、反抗期が訪れます。
それまでの子供という存在を一度すべて破壊して、心の中でドロドロに溶けて新たな存在として再生するためです。
それは、幼虫がサナギになり、自分の殻に閉じこもり、自己と向き合い、幼虫の形をすべて破壊して、飛び立つ美しいチョウのように…。
そのチョウが成虫になるのは生きるためだけではありません。
自分という枠を超えて、種のつながりを維持するためです。
自分=自我という枠組みから離れ、自然界全体の中で生きる自分を見出すのです。
人も私が、私が…という思い(自我)は青年期から大人になると、相互関係に還元することで昇華されてゆきます。
社会全体の中で生きる喜びを見出すのです。
◉子どもの頃は感情を素直に表し、そして環境は子供の心を素直に認めてあげることが大切です。
大人になると、感情を深く、深く、心の奥底に閉じ込めていってしまいます。
悩みの多くは、その閉じ込めた感情によるものが大きいのです。
その閉じ込めた感情が限界になると心と体は重すぎる感情に耐えられなくなります。
◉SMの関係は性の問題だけではありません。
愛のない言葉や行動は、その場の空間における支配と服従です。
支配と服従は家族、恋人、友人、会社の人間関係、『サイコパス』的な関係のすべてに及びます。
それら”S”と”M”の関係は、人の愛情を感じとる感覚が鈍っている状態なのです。
閉鎖的な空間は解放されなければなりません。
心の窓を開けて愛の息吹を感じましょう。
◉赤ちゃんの笑顔は許されている
人は忘れていますが、人は生まれた時に許されています。
赤ちゃんの時のあなたは愛くるしい笑顔で、惜しみない愛と勇気を両親に与えていたはずです。
赤ん坊の時の笑顔で人はすでに許されているのです。
◉自分が悪いと責める心
感受性が強い傾向にある人はどこかで自分を責め続けています。
マイナスの感情をすべて引き受けていたら、どんなに良いことをしても良くはなりません。
罰を引き受けることで『自分の罪が許される』と考える無意識が心の中にいるのです。
いくら、心の中で罰を引き受けても心は救われはしません。
罰を引き受けるような出会いを自ら呼び寄せてしまうからです。
罰を受けることで、『不幸になりたいのではなく、救われたい』のですから、いくら自分を責めても要求は満たされず、心は楽になりはしないのです。
本当は許されたい、助かりたい、救われたいのです。
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